バルセロナ:基礎中の基礎

では、「バルセロナ」についてほとんど知識の無い方のために、簡単なバルセロナの紹介をしておきましょう。

1.バルセロナの地理環境

バルセロナは、イベリア半島北東部の都市。
地図で見ると、このあたりにあります。



スペインの左上(北東部)のあたりを「カタルーニャ州」と呼ぶのですが、この州の州都がバルセロナです。

ご覧の通り、バルセロナは、フランスに非常に近いです。スペインの首都マドリー(Madrid)までは、夜行列車で10時間ほどかかるのに対して、フランス国境のペルピニャンまではわずか3時間ほどです。
このような地理的条件から、バルセロナは、「スペイン」にも「フランス」にも属さない、独特の文化を育んできました。

また、スペインは、全土的に、非常に空気が乾燥しているのですが、バルセロナは、海がすぐそばにあるため、少し湿度が高めになっています。よって、普段から湿度の高い土地に暮らしている、日本人にもとても馴染みやすい風土だといえます。

2.バルセロナの歴史

高校で世界史をやってなかった人には、「ハンニバル」とか「レコンキスタ」とか言っても全くピンと来ないでしょうから、分かりやすく簡単にまとめておきます。

紀元前6世紀 ギリシャ人がやって来る。
紀元前3世紀 北アフリカのカルタゴ(現在のチュニジア)の将軍が、この土地を気に入って植民都市にする。そして、この将軍さんのお父さんの名前(バルシノ)から、「バルセロナ」と名づけられる。
その後、ローマ帝国が支配する。
5世紀 イスラム教徒が南から攻めてきて、占領される。
9世紀 キリスト教徒が頑張って取り返す。
10〜14世紀 地中海の貿易でボロ儲けし、「カタルーニャ=アラゴン」連合王国として、黄金時代を迎える。
15〜18世紀 「中世」の終わりとともに衰退し、半島中央部のカスティリャ王国にいいように牛耳られる。
19〜20世紀 イベリア半島で産業革命を唯一達成した地域となり、一気に発展する。そして、経済的地位の上昇に伴って、「カタルーニャ」の復権運動が起こり、自治を求める機運が高まる。

それとともに、この頃カタルーニャで花開きかけていた「モデルニスモ」(新芸術運動)が、「カタルーニャ」独自のアイデンティティを求める産業ブルジョワジー(産業革命で儲けた成金)の支援の下、爆発的に流行する。

※この時の成金の1人が、ガウディのスポンサーになった「グエル」氏です。
1936−39 スペイン内戦が起こり、フランコ将軍と敵対して戦うが、敗れて軍門に下る。
フランコ時代
(〜1975)
中央集権主義(というか独裁主義)の下、「カタルーニャ」の独自性は徹底的に抑圧される。カタルーニャにとっては試練・忍耐の時代。
1975〜現在 フランコ時代の反動で、急激に「カタルーニャ」の独自性を追い求めたがる時代に突入し、現在に至る。自治政府も復活。

という感じです。

最近は、中世や20世紀初頭の繁栄ぶりと社会的地位を取り戻そうと、日々頑張っているようです。この表からも、バルセロナは、「スペイン」とはかなり異なる歴史を歩んできていることが分かるかと思います。
こういった歴史から、カタルーニャ地方の住民は、「選民思想」というか、「我々は他のスペイン人とは違う」という気質を有しており、この点が、よくも悪くも大きな特徴になっている地域といえるでしょう。

3.バルセロナのポジション

バルセロナは、地理的に中央(マドリー)から遠いことに加え、かつては「カタルーニャ」という独立国であったため、あらゆる面で「スペイン的」ではありません。また、人々の中でも、「スペイン人」という意識より、「カタルーニャ人」という意識の方が強く、スペインの他の地方を、まるで外国のように感じている節があります。

ただ、日本で言われているほど「中央のマドリーVS反中央のバルセロナ」という対立の図式がある訳ではなく、バルセロナにとっては、マドリー(中央)は、あくまで対等な関係の「別の国」に近い感じです。ですので、別にそれほどマドリーを毛嫌いしている人はいませんし、普通に旅行にも行きます。
あくまで、「スペイン」や「マドリー」とは異なった、「カタルーニャ」という別の文化(国)が存在している、という感じです。

余談ですが、経済的に見ると、カタルーニャの1州だけで、実にスペインの国内総生産(GDP)の4分の1もの額を稼いでいます。この経済力を背景に、カタルーニャ(バルセロナ)は、ますます「スペイン」とは異なる独自路線を歩んでいっている訳です。

4.バルセロナの人々

人々の気質においても、いわゆる「スペイン人」とは大きく異なります。
まず、「カタラン(カタルーニャ人)」の気質を表す言葉として、スペイン国内で皮肉を込めて言われているのが、

「ケチ」

「働き者」

という言葉です。

要は、「面白みのない、真面目なヤツ」という、いわば「出来杉くん」タイプの人間ばかりだと捉えられているのです。ま、これはステレオタイプな見方だとしても、大筋でカタランの気質を語っています。カタランは、基本的に真面目かつ働き者で、夜はちゃんと家に帰り、稼いだお金はきちんと貯蓄します。早朝に多くの人が出勤するため、毎朝通勤ラッシュもあります。ついでに言えば、フラメンコも闘牛も滅多に見ません。

また、外見に関して言えば、男性も女性も、決して「ラテン系」の顔ではなく、結構薄口の顔の人が多いです。
例えば、日本人女性が「スペイン人男性」と聞くと、恐らく、アントニオ・バンデラスのような濃い顔をイメージすることでしょう。

典型的なスペイン人男性


非常にエキゾチックで男前です。
しかし、カタルーニャに実際多いのは、こんな顔です。

典型的なカタルーニャ人男性


何か間延びしてるんですよね。間延び。

という訳で、バルセロナの人々は、いろんな意味で、いわゆる我々の想像する「スペイン人」ではありません。バルセロナに来たことのない方々、またはバルセロナを短期間の観光旅行で通り過ぎられた方々には、この点が誤解されていることが非常に多いのですが、バルセロナの人々は、普通の「スペイン人」とは大きく異なります。

ただ、教養があって大人しくて勤勉なところは、結構日本人に近いものがあるので、日本人にとっては、普通のスペイン人よりは話が合うような気がします。

5.バルセロナの文化

昔から海上文化が栄え、スペインとフランスの境目にあり、さらに独自の歴史を歩んできたことから、文化もそれ相応にオリジナリティに富んだものになっています。「コスモポリタン」的な雰囲気に溢れている、といってもいいでしょう。

上にも書きましたが、人々も、異質なものに対して柔軟な姿勢を持っているため、様々な要素を取り入れ、「カタルーニャ文化」は形成されてきました。難しいことは書きませんが、とにかく、言葉にしろ、料理にしろ、建築にしろ、何かにつけて「カタルーニャ・×××」という形容詞をつけられる程、全てが独創性に溢れています。

例えば、カタルーニャから輩出された有名な「アーティスト」を並べてみても、ガウディ、ダリ、ミロ、パウロ・カザルス、アドリア・フェランなど、いずれもその「独創性」「先進性」で知られたアーティストばかりです。そして、彼らは、皆バルセロナ(とその近郊)に、偉大な足跡を残しています。

ヨーロッパを旅行したことのある人なら、ゴシック建築や教会、宗教画などは、ヨーロッパどこへ行っても同じようなものが見れるのがお分かりでしょう。しかし、バルセロナに来たなら、バルセロナでしか見れないものをたくさん見ることができます。

一言で言って、かなり面白いです。

詳しいことは、下のコーナーに。

6.バルセロナのみどころ

では、写真付きで、簡単に紹介していきましょう。

バルセロナとは、









設開始から100年経っても全く完成しそうにない教会があったり
(サグラダ・ファミリア)





妙にゆるーい感じのアパートがあったり
(カサ・ミラ)





物凄くゴージャスな病院があったり
(サン・パウ病院)







華麗に装飾された家があったり
(カサ・コマラー)





要塞のようなマンションがあったり(ウォールデン7)







ただ祈ってるだけの大道芸人がいたり
(ランブラス通り)





地中海が満喫できるビーチがあったり
(バルセロネータ)





想像を絶するほど凄い噴水ショーが見れたり
(スペイン広場)





郊外には豪快な地形の聖地があったり
(モンセラット)

と、他の町にはない、独特なものをたくさん持っている町です。
ぶらぶら歩いているだけでも、なかなか愉快です。

という訳で、バルセロナは、いわゆる「スペイン的」なものを味わいたい方にはお勧めできませんが、「世界中でそこしか見れないものをみたい!」「面白いものに触れたい!」という方には、逆に、世界中で、ここほどお勧めできるところはないと思います。本当に、強い個性を持った町なんです。
その個性に引かれて、それまでスペインやバルセロナには何の興味もなかったにも拘らず、いきなりリピーターになってしまう人が絶えません。

面白いものや独創的なものが好きな方、ぜひ一度ダマされたと思って行ってみて下さい。

きっと、バルセロナのトリコになって帰ってきますよ。



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