ガウディ以外のモデルニスモ建築

「モデルニスモ」とは、フランス語で言う「アール・ヌーヴォー」、つまり、1900年前後に流行した、新しい芸術・文化運動のことを指します。
「モデルニスモ」は、純粋に芸術的・文化的なムーブメントという側面もある一方、「マドリーの中央政府に対して、カタルーニャ独自のアイデンティティを確立しよう」とする思想的運動という面もありました。

そして、この時期、「カタルーニャ主義」を背景に、ガウディを始め、多くの建築家がカタルーニャの実業家の支援で、個性的な建築物を多数設計・建築します。現在では、これらの建築家の中では、「ガウディ」が圧倒的な知名度を誇っていますが、実は、その当時では、ガウディは、それほど目立つ存在ではありませんでした。

例えば、ドメネク・イ・モンタネルという建築家。
彼は、この当時、名実ともにカタルーニャ(バルセロナ)を代表する建築家で、非常に華麗で個性的な作品を多数残しました。その功績は現在のバルセロナの町にも多くにも残っており、個性的な建築を見慣れた現代の我々でさえ、度肝を抜かれてしまいます。

ちなみに、ドメネクは、晩年に国会議員やバルセロナ建築学校長を務めたりして、バルセロナを代表する建築家として大活躍しました。貧乏が極まって町をさまよった挙句、路面電車に轢かれてしまったガウディとは雲泥の差があります。

または、プッチ・イ・カダファルクという建築家。
彼は、その当時流行し始めていたモデルニスモ様式に、中世のゴシック建築のエッセンスを取り入れ、非常に斬新な作風を構築しました。
ただ、あくまでヨーロッパの伝統的な建築様式を取り入れたものであったので、現在の我々には、あまり強いインパクトを与えてくれないのが残念なところではありますが、それでも彼の功績が色あせるわけではありません。

その他、忘れてはならないのが、ジュゼップ・マリア・ジュジョールという天才的建築家です。
彼は、上に挙げたような建築家の20年ほど後に出てきて、主にガウディの右腕として遺憾なく才能を発揮しました。
例えば、「ガウディの象徴」ともされている、砕けたタイルを散りばめたオブジェ。あれは、実はガウディではなくジュジョールが考案し、自身で手がけたものです。また、グエル公園のベンチや広場の天井のオブジェ、カサ・バトリョの外壁、カサ・ミラの波打った黒い手すり等も手がけています。
ガウディも、この才気溢れる若手建築家を、「私の弟」と人に紹介し、たいそう可愛がっていたようです。

ただ、彼はモデルニスモの有名な建築家たちよりかなり遅れて登場したため、彼が本格的に活躍する頃には、悲しいかな、モデルニスモの運動は下火になっていました。よって、ジュジョールはせっかくの才能を生かすことが出来ず、ジュジョールが1から設計に関わった建物はかなり少数です。
このような事情から、知名度の低かったジュジョールですが、近年、ガウディの功績を再評価する流れに伴って、ジュジョールの功績も高く評価されるようになって来ています。近年、人気が急激に高まってきている建築家の1人です。

という訳で、「バルセロナのモデルニスモ」といっても、ガウディ以外にもぜひ目を向けて下さい。

建築に少しでも興味があるなら、また、バルセロナで少し時間に余裕が出来たなら、ぜひガウディ以外の建築家が作ったモデルニスモ建築にも足を運んでみて下さい!

ここでは、それらのガウディの影に隠れがちな、でも素晴らしい功績を残している人々の作品を紹介していきます。


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